淀城と淀古城
京都市伏見区淀に存在した淀城と淀古城。
一般に淀城と言えば淀君のお城という概念があるが
豊臣秀吉が茶々の産所として築かせた淀城(淀古城)で
京阪電車淀駅南にある淀城は江戸時代に築かれたものである。
Updated Date : 2017-03-24 21:19:15
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淀城
現在は本丸の石垣と堀の一部が残っている。江戸時代には久松松平家、戸田氏、稲葉氏など譜代大名が居城した。
現在は本丸の石垣と堀の一部が残っている。
安土桃山時代、豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた淀城は現在の位置より北へ約500メートルの位置にあった。
鶴松死後に拾丸誕生後養子となっていた豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられた際、城主であった木村重茲の連座とともに廃城とされた。
妙教寺の山門に淀古城の石碑がある
淀の方(茶々)
浅井長政の三姉妹、戦国時代に数奇な運命を生きた方である。
母親のお市の方は織田信長の妹、戦国一の美女と言われ3人の娘たちもそれぞれに歴史を担う生き方をした姫君である。
茶々(豊臣秀吉 側室)
初(常高院、京極高次正室)
江(崇源院、徳川秀忠正室)
34.90524879247133
135.71779814490583
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34.90524879247133,135.71779814490583,0,0,0
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