赤穂浪士・小野寺十内ゆかりの地 『妻・丹女之墓と林昌院など』
今年も討ち入りの日(12月14日)が近づいてきたが、赤穂浪士のひとり小野寺十内の妻は夫の切腹後,西方寺(現左京区)に夫の墓を建て,ひそかに江戸の泉岳寺から夫の首を掘り起こし西方寺に葬った。そのあと食を断ち自死したと伝えられている。大石神社や岩屋寺のように目立たないが、注目したいスポットである。
Updated Date : 2024-12-08 20:11:32
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小野寺十内妻烈婦丹女之墓
墓地は林立するマンションの蔭にある。
なお、右手(東側)には加藤清正ゆかりの墓もある。
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岩上通に面した丹女の墓の石碑
下京区岩上通五条上る東側。
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お墓を管理している林昌院
下京区猪熊通五条下ル西側
(山科区に移転した本圀寺の塔頭のひとつ)
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元禄時代の墓を発見
忠臣蔵の赤穂義士の討ち入りの年は、1702(元禄15)年だが、同じ元禄時代の墓の存在を近くで発見して偶然性に驚いた。それは松永久秀の邸跡で、松永久秀の墓も存在する妙恵会総墓所(下京区猪熊通五条上る)である。
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