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晩秋の大原野~その2【大原野神社】
桜貝のぶらり京都たび ~京都再発見~ 桓武天皇が延暦3(784)年の長岡遷都に際して、皇后(藤原乙牟漏)が参拝に便利なように氏神の春日神を勧請したのが当社の起こり。当初は入野神社(善峯川の北岸に現存する)が鎮座地とされ、文武天皇が現在地に移...
Updated Date : 2017-11-08 13:54:33
Author ✎ 京都再発見
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千木による男神と女神の見分け方(写真に付記の説明を参照)
大原野神社
桓武天皇が延暦3(784)年の長岡遷都に際して、皇后(藤原乙牟漏)が参拝に便利なように氏神の春日神を勧請したのが当社の起こり。 当初は入野神社(善峯川の北岸に現存する)が鎮座地とされ、文武天皇が現在地に移されたいう。 藤原氏出身の皇后との関係を象徴する宗教的・政治的な意味を持つ神社といえる。 これを象徴するように「野の行啓」なる行事が始められ、式部の時代にも道長によって中宮彰子の行啓が行われ、その様子が「大鏡」や「小右記」に記されている。 神社は南春日町にあるが、社家町は北春日町にある。 後者には春日神を守ってきた斉藤姓が多く、前者は長岡京、平安京の造営に関わった秦氏の後裔が多く住む。 秦氏と斉藤氏の子孫により始まった御田祭にともなう神相撲は大原野相撲とよばれる当社の特殊神事である。 秦氏と斉藤氏の代表が浄めの塩を包んだ白紙を口にくわえて相撲を取る。 二回の取り組みを一勝一敗で終え共存の誓いを示すというもので、享保2(1717)年以来300年、連綿と続けられている。 奈良の猿沢池を模した鯉沢池や古歌に詠まれた瀬和井の清水なども変わらぬ姿を見せている。 撮影日時 : 2017年11月7日
大原野神社の本殿の奥の社の千木に注目を(左側の女神は内削ぎ、右側の男神は外削ぎになっている) 
桜貝のぶらり京都たび ~京都再発見~ - 晩秋の大原野~その2【大原野神社】

大原野神社
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