鴨川運河の逍遥~その7
師団橋を渡る東西の通りは当時の名前のままの第二軍道。 砂川橋から続く綿森橋、町通橋、野田橋の三橋はすべて三角橋で橋脚には陸軍のシンボル五芒星がみられる。
Updated Date : 2019-02-04 11:38:20
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「師団橋と聖母女学院」
師団街道と第一軍道の交差点 (師団街道龍大前)
かつて軍都として栄えた伏見は第16師団ほか約1万3千人以上の軍人が移住していた。 第2次世界大戦でフィリピンのレイテ島に移駐した第16師団は連合国軍との戦いで壊滅したが、司令部庁舎はそのまま残り、聖母女学院が国より払い下げを受けた。
南北が師団街道、東西が砂川橋を渡る第一軍道である。
西北角の建物は龍谷大学の校舎。
OpenMatome
師団街道龍大前
34.9630856295109
135.77060680391696
34.9630856295109,135.77060680391696
師団橋
34.959125211185714
135.77056388865458
34.959125211185714,135.77056388865458
聖母女学院
当学院の内外には陸軍の関係の遺跡が多い。 例えば正面玄関脇の受付窓口は馬上から書類の授受を行えるよう高く作られており階段の各段の高さは軍靴に適した高さになっている。 また当時のままの二階の応接室の床にはサーベルの傷跡が無数に残っている。さらに校門の南脇には陸軍用地を物語る石杭などもある。 戦時中は対空カムフラージュのため外壁は真っ黒に塗られていたが薬品で洗浄されてほぼ元の赤レンガの姿になった。 関係者の話によれば戦後亡者とおぼしき人物が「サーベルを返して欲しい」と訪ねて来たことがあるという。 若しかすると床下にでも埋蔵された刀剣が残っているのかも知れない。
既に短期大学の閉校が決定した聖母女学院だが、これら戦時の遺稿はなんとしても保存したいものである。
なお見学を希望の場合は1週間前までに電話予約のこと(075-641-0507)
「写真の説明」
左上は、赤レンガの本館の外観、右上は堂々とした中央大階段、
左下は陸軍用地であったことを物語る石杭、右下は当時のままの応接室の床でサーベルによる傷跡が無数に残っている。
OpenMatome
聖母女学院
34.957827011721584
135.77173891033453
34.957827011721584,135.77173891033453
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